私の愛読書。
新潮文庫の石川啄木『一握の砂・悲しき玩具』である。
短歌とか和歌といったジャンルが好き。
その歌が詠まれた情景や心情を勝手に思い描いて、あたかも自分もその時代、その瞬間に同じ景色を見ているような気分になれるから。
ところで、どういうわけか私は石川啄木が好きだ。
この儚げな雰囲気。放っておけない。
そして嬉しいことに、北海道には石川啄木の歌碑が何ヶ所もある。
啄木は、岩手県の生まれだが、かくかくしかじか色々あって北海道に移住。
後に北海道を去るまで、函館・札幌・小樽・釧路を漂泊しながら詠んだ歌が、先の『一握の砂』に収められている。
…というゆかりがあるのだ。
さて、今回は、札幌の歌碑3か所イッキ巡り。
啄木さんに会いに行くよ〜!
大通公園の歌碑と啄木像
▪️所在地▪️
札幌市中央区大通西3丁目 大通公園
これは行きやすさNo.1。大通公園です。
石碑に刻まれているのはこの歌。
しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍(とうもろこし)の焼くるにほひよ
大通公園は、1875年(明治8年)頃、
開拓使が西洋草花を西3・4丁目に植え、市民の目を楽しませる広場になっていった。
そして、1907年(明治40年)には現在のような本格的な公園整備が進められたという。
とうきびワゴンもこのころ(明治時代)に誕生したようだ。
啄木が、函館から札幌入りしたのは明治40(1907)年。
まさに、この場で札幌の風を感じていたのかと思うと感慨深い。
啄木さんが時を超えて現代に生きているのを、歌を通じて感じられる。
(ちょっと壮大で震える)
影が濃くて見えない…泣
啄木の70回忌に合わせこの歌碑が建立された旨が書かれている。
歌碑の側面にも文字が刻まれていた。
秋風記より
札幌は寔に美しき北の都なり。初めて見たる我が喜びは何にか例へむ。アカシヤの並木を騒がせ、ポプラの葉を裏返して吹く風の冷たさ。札幌は秋風の国なり、木立の市なり。おほらかに静かにして人の香よりは、樹の香こそ勝りたれ。大なる田舎町なり、しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり。
明治四十年作
石川啄木の下宿跡(旧田中宅跡)
▪️所在地▪️
札幌市北区北7条西4丁目4−3 札幌クレストビル
「え、まさか、ここに!?」
Googleマップを頼りにたどり着いたのは、近代的なオフィスビルの玄関ポーチ。
唐突に啄木さん現る。
庇があるとはいえ風雨吹きさらしの環境なのだが、ガラスケースもパネルも綺麗に磨かれていて、大切に管理されているのがわかる。
この場所は、啄木が函館から札幌入りした明治40(1907)年9月14日から、2週間滞在した田中サトさんのお宅。
《札幌市のホームページより引用》
明治40(1907)年、歌人石川啄木が21歳のときに、詩友向井夷希微らに迎えられ、彼らの下宿でもあった田中サト宅に下宿しました。滞在2週間で慌ただしく札幌を去った啄木は、勤め先の北門新報に「札幌は寔に美しき北の都なり」との印象記を残し、小樽、釧路へと流浪の旅に出ました。
偕楽園緑地の歌碑
▪️所在地▪️
札幌市北区北7条西7丁目 偕楽園緑地内
先の下宿跡から600メートルほど西へ。
またまたGoogleマップを片手にさまよう。
札幌駅のすぐ近くという超都会的立地にも関わらず、一本路地に入ると、この辺りだけ時間が止まったように静かでのどかだ。
年季の入った建造物も何軒かあるし、札幌市の有形文化財“清華亭”もある(現在改修中で残念ながら見られなかった)。
少し道に迷ってキョロキョロしていると、
都会のはざまに急に現れる緑地。
そして、静かに佇む歌碑。
アカシヤの街き(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記に残れり
※なみきの“き”は、木へんに越
この3か所以外にも、平岸天神山緑地にも歌碑があるとのこと。
いつか訪問してみたい。
ちなみに私の好きな啄木の歌はこちら。
あたらしき心もとめて
名も知らぬ
街など今日もさまよひて来ぬ
(一握の砂)
夜明けまであそびてくらす
場所が欲し
家をおもへばこころ冷たし
(一握の砂)
孤独、薄幸、よりどころのなさ、すべてがこれらの歌に詰まっている感じ。
それが現代を生きる私の心に染みて痛い。
一説には、経済観念も異性関係もルーズだったという啄木さん。
まぁ、それが人間味あふれていて良き。
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